川合玉堂 俳句額(明月画讃 月涼し)

川合玉堂(1873~1957)は、昭和20年の東京大空襲で東京都牛込区若宮に在った自宅と画室を消失した後に、71歳から東京郊外の青梅に移住しました。

予てより写生に訪れていた奥多摩の地に、知人の紹介で、偶々(たまたま)縁を得た青梅市御岳(みたけ)に「偶庵」(ぐあん)と称する居を構えます。

歌は清水比庵を師として交流し、玉堂と比庵は敬愛の意を込めて互いに「先生」と呼び合い定期的に指導を仰ぎました。
玉堂は比庵より10歳年上ですが共に交流を心の支えに芸術活動を終生続けました。

偶庵の雅号で俳句・和歌に自作の絵を添える作品を83歳で芸術生活を閉じるまで発表しました。

この作品は薄墨で一刷毛だけ月を描き、自作の俳句を自画自参しています。 
玉堂の次男の修二氏が鑑定シールを添えています。
川合玉堂晩年の逸品です。

額の大きさ:たて42.3cm横70.0cm


¥60,000

「月涼し 楠のこずえも 藤のつる 偶庵(印:玉堂)」